Oriorino

織物情報

【紅花染】

山形県の県花にも指定されている「紅花」。紅花染めの赤は、寒さの最も厳しい真冬に染める色が美しい。 7月に紅花が咲き、一つ一つ摘む。その花を発酵させ花餅にして赤の色素を抽出し、鳥梅や米酢で染色する。 また、紅花とその他の染料を重ね染めすることで百色の色相に表現できる。その技法は、新田歴代の弛まざる研究と努力から生まれました。

【結城紬】

ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、結城紬の特徴は、真綿から手で紡ぎ出す糸にあります。この真綿から人の手で糸を紡ぎ出すことで、素材の良さを損なわない、最上質の糸が出来上がります。日本全国の紬の中でも、縦糸・横糸の両方に手つむぎ糸を使うのは  本場結城紬だけです。これが、本場結城紬が最高峰の絹織物とされる由縁でもあります。 結城紬の歴史は、「延喜式(えんぎしき)」「常陸風土記(ひたちふどき)」に記されている“長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)”まで辿ることができます。朝貢として朝廷に上納されていた絁(あしぎぬ)とは、手でつむぎだした太糸の絹織物(=あしき絹)であり、現在も日本各地に残る、様々な紬織物の原形とされています。その古代からの作り方を未だにとどめているのが、この結城紬なのです。絁はいつしか常陸紬と呼ばれるようになり、その質実剛健な風合いは武家に好まれたことで、結城を統治していた結城家が鎌倉幕府に献上品として献上したことで、結城紬と名付けられるようになりました。

【桐生織】

主に極細の絲をジャガード織を用いて織り上げてます 軽くて丈夫で着やすいきものです 桐生は1300年の織都と呼ばれてます。歴史に登場するのは和銅七年714年です。

【黄八丈】

東京から南方へ300キロ、八丈島の豊かな自然に育まれた草木のみを使って染色された絹織物。色は黄色、黒色、樺色の三色のみ。八丈島の風土で育った草木特有の色を際立たせるため、無地、縞柄、格子柄など、意匠は極めてシンプル。かつては普段着として着心地の良さで愛用されたが、近年は生産者の減少で希少価値が増している。着物を知り尽くした人がたどり着く着物ともいわれています。

【西陣織】

西陣では平織(アゼ)、錦、緞子を中心に、夏物としての透け感のある絽、沙、羅の織組織を用いた先染め紋織物を製造しております。西陣で製造されている織物は帯、着尺、金襴、ネクタイ、洋装、インテリアです。 西陣織の特徴は金銀糸、箔をふんだんに用いた煌びやかな絢爛豪華な織物が特徴です。 弊社、西陣まいづるでは帯地を製造しております。明治40年創業。時代ごとに変化するニーズに対応した「ものづくり」で、美しく魅力ある織物を作り続けます。

【爪掻本綴織】

綴れ織の名門、西陣に工房を構える服部綴工房。今では職人の数も少なくなった希少な“爪掻き本綴れ”による芸術性高い作品を作り出しています。 “爪掻き”とは、綴れ織を制作する際に、その織り目の糸を、ギザギザに削った爪でたぐりよせるようにして、ひと目ひと目整えていく技法のことです。職人さんは毎朝、中指と薬指などの爪を糸の細さに合うように削って機に向かいます。綴れ織は経糸を緯糸で包んで、階段状に織り上げていく技法なので、その爪の力加減ひとつで線状美が決まるといいます。中には、織物とは信じられないような暈し模様や絵画と見紛う繊細な表現がほどこされた作品も。気品あふれる表情の美しさと締め心地の良さは、他に代わるもののない稀有な織物です。

【京絞り】

糸で布を絞り防染を施し模様を染め出す。糸で括られた部分は染まらず白く残り、模様となり括られた時の凹凸も残り風合いとなります。この古来より伝わる手技は時代とともに紋裂、辻が花染め、総鹿の子絞りをへて変遷し脈々と現代へと受け継がれてきました。この技法によって受け継がれてきたものは、それぞれの時代を担ってきた職人の想いばかりではなく、日本の大切な価値観や美意識も受け継がれてきました。そのことが染めの色合いやにじみ具合、独特の立体感で醸し出される美しさと懐かしさを創り出しています。

【博多織】

満田三右衛門は、鎌倉時代、宋から織物、朱、箔、素麺、麝香丸の5つの製法を持ち帰りました。中でも織物技法だけは家伝とし、「広東織」として独特の技術を加えながら代々伝えました。これが博多織の起源となります。250年後、子孫の満田彦三郎が明国へ渡り、広東で織物を研究して帰り家伝の継承をします、その後彦三郎は博多に住む竹若藤兵衛に秘伝を伝え、その技法に改良工夫を施し、地質厚く,浮線紋と柳条がある織物を開発しました。これに土地の名前をとって、「覇家台織(はかたおり)」と名付けます。博多織の誕生です。博多織の特徴の「献上柄」は、江戸時代に筑前黒田藩主が徳川幕府に献上したことに由来し、この名前がつけられました。真言宗の法器、独鈷と華皿を図案化しており、博多織の原点となった模様です。

【小倉織】

小倉織は、江戸から大正にかけて現在の福岡県北九州市周辺で織られていた木綿の織物です。徳川家康が鷹狩の折りに小倉織の羽織を着ていたとか、細川忠興が他の大名への贈り物にしたという記録が残っています。 小倉織は、たての糸の密度が高く丈夫な布なので、袴や帯、羽織などとして日本全国で広く愛用されていました。明治時代の文豪の小説の中に小倉袴をはいた書生や若者がたくさん登場することからも当時の人気ぶりが分かります。 しかし、服装の変化や時代の移り変わりに伴って小倉織は昭和の初めごろには姿を消し、地元でさえ忘れ去られてしまっていました。 近年、小倉織の生地の緻密さとはっきりした縞の美しさに気が付いた人々の手によって小倉織は蘇り、地元の文化としての新しい歩みを始めています。 豊前小倉織研究会では北九州地域で栽培した綿を糸車で紡ぎ、手織りならではの小倉織を制作しています。

【久留米絣】

「絣」は日本を代表する伝統的な木綿織物です。
織られる際に柄がかすれて見える事から「かすり」と名付けられたと言われています。久留米絣の特徴は、くくり染めをした経(たて)糸と緯(よこ)糸をあわせた 複雑な柄の素晴らしさと、着るたびに肌になじむ風合いのよさです。 絣が出来上がるまでの作業は、柄づくりから括り、藍染、織り、検査までおよそ30工程にもおよび、完成まで約2ヶ月を要します。 この久留米絣の複雑で高度な伝統技法は、昭和三十二年に無形文化財に指定されています。

【本場奄美大島紬】

本場大島紬は、長い歴史と伝統を誇る鹿児島県を代表する伝統的工芸品である織物です。
大島紬の工程は、大きく分けて30数工程あり、図案に始まり織り上がるまで半年近くかかり、1つ1つの工程が、非常に複雑で高度な熟練した技術が要求されます。
  長い歴史のなかで商品や技術開発がすすみ、その結果、緻密な絣模様や、軽くて、暖かく、しなやかで、着くずれしないなど数々の賞賛される優れた特徴が生まれました。 現在、大島紬は伝統的な泥大島や、泥藍大島といったものから、ニューカラーニューデザインの色大島や白大島と、今では、色・柄・風合いなど豊かなバリエーションをもっています。 このため、着用範囲も広がりおしゃれ着としての気軽な外出着としてだけでなく、お茶会や、成人式・結婚式にと色々な場面で着られるようになりました。
  そして、今また、洋装・インテリア・小物としての大島紬の製品化も進み、世界的デザイナー森英恵さんがパリコレで大島紬婦人スーツを発表されるなど、洋装分野での大島紬も脚光をあびてきています。

【天草更紗】

「更紗(さらさ)」とは、海外から舶載された外来の模様布のことです。天草更紗は、安土桃山時代に、ヨーロッパや中近東、インドなどの更紗を、長崎出島を通じ、西欧人によって伝えられたとされています。その後、江戸時代に入り、舶来更紗を真似て技を身に付けた職人の手で製作され、庶民に愛される布になっていったとされます。

 天草更紗は後継者がなく何度か途絶えていた時期がありましたが、現代になり、もともと染織家だったこともあり、現染元の中村いすずの元に市長や文化協会から復興の依頼がありました。また郷土史家等が収集された資料を寄贈してくださるご縁に恵まれたことから、再度復興に取りかかることになりました。結果、2002年に「平成の天草更紗」として再び復興を遂げました。